50歳でFIREを目指すアラフォーパパ

今は資産2億でセミリタイア中

苦手なタイプの人間②

前回と似てるのですが、


私が「なんか苦手だなあ」と思う人間。


その人自身に罪はなく、


あくまで私が相性が悪いと思う人を取り上げていく人気コーナー。




第二回目は


「自己肯定感の強い人間」




1回目ともしかすると共通項かもしれません。


自分の結婚式で歌い出す新郎。




代表的な人物は


「ゆたぽん」




彼を語るとき、


人は何故か歯痒い気持ちになる。


この歯痒さを説明できないから、


「なんか苦手〜」と感じ、彼の意見に反対主張をしたくなる。



彼を語る上で、


嫌いとか生意気とか、親がどうとか、そんなものは後付けで、


おそらく自分の生き方が絶対的に正しいと思っている、


そんな自己肯定感が気持ち悪いと感じるのだと思う。




彼らの主張だけ聞けば、


果たして本当に間違った考え方なのか、誰にも正解がわからない。




正解が分からないけど、


学校に行って、勉強して、大学行って、就職して、結婚してって


そんな生き方が正しいのだと疑うこともなく生きて大人になった人間にとって、


そんな生き方をしていても、うまくいかない、人と比べてしまう、挫折する、ストレス溜まる、


そうやって苦しい思いをしてきた人間にとって、


ゆたぽんの生き方は、もしかしたら自分たちの人生を否定された気がして、


もしかしたらゆたぽんの生き方が羨ましいのかもしれない。




自分の生き方は間違ってるのかもしれない、


そんな現実を突きつけられた大人にとって、


ゆたぽん絶対自分の生き方は正しいという考えは、


失敗人生に終われという僻みのようであり、


それでいてゆたぽんが改心して我々の正義が勝ったのだというエンディングを観たいようであり、


でも、我々の人生は大成功か、この道が正しいのかと問われれば、


何かしっくりこない感もあり。




そうやって人生悩み苦しみたどり着いた道が


いとも簡単に捻じ曲げられようとする冒険少年が現れた途端、


我々の生きた道は間違っていたのだと思い知らされるかもしれない恐怖。



誰だって人生って曲がっていて、陥没していて、邪魔者が現れたり、つまづいて転んだり、


そうやって生きてきた人間にとって、


少年の頃から一本道でその道が輝き放っているゴールデンロード。


それを信じて止まない信念と感性。



到底我々には受け入れがたい自己肯定感。


このゆたぽんのゴールデンロード=自己肯定感に対する拒絶。


これなんだと思う。




ゆたぽんの生き方は正しいような気もする。


でもそんなゴールデンロードは認めたくない。


だってこんなに何十年も苦しい暗闇の中、手探りで生きてきたのだもの。


そりゃそうだよ。


ゆたぽんが悪いわけでも我々が悪いわけでもない。


でもそんなゴールデンロード=自己肯定感はそう簡単には受け入れられない。




もしゆたぽんのような生き方が、世界の常識で、


それでも我々の生きた紆余曲折した泥まみれの道とゴールデンロードの2択を神様が選ばしてくれるとしたら、


泥まみれの道を選ぶ人の方が少ない気がする。


なんとなく常識や世間体という概念が邪魔しなければ、


あなたはどちらの道を選ぶだろうか。



私は子供の頃から気が弱く、自分に自信が持てなかった人間だったので、


子供の頃から自己肯定感の強い人間が苦手でした。


羨ましい気持ちはあったと思う。


そうなれるのならなりたかった。


でも大人になると、この性格は慎重性や客観性や思いやりの気持ちを持たせる


バランサーとしての役目があると思っているので、この性格で良かったと思ってるし、


だからこそ自己肯定感の強い人間は尚更嫌いになった。





ゆたぽんは嫌いである。


彼が改心しようと信念を貫こうが、私は嫌いである。その自己肯定感が。

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