50歳でFIREを目指すアラフォーパパ

今は資産2億でセミリタイア中

人生のボラリティ

仮想通貨やってると、


そのボラの高さに、最初はビビる。


狼狽売りに走りやすい。



しかし、そういうものだと学び、


又価値の乱高下に徐々に慣れて、感覚が麻痺していく。





人生も同じで、


若い時の未経験、初体験というのは、実に人生に彩を与えるものだが、


歳をとるにつれて、人生というものにこなれて、飽きてくる。




セミリタイア生活。


実に抑揚のない生活だ。




もちろん仕事のストレスもない。






この仕事のストレスって、


実は大事なんだよって話。




人間、抑圧されると、そこから解き放たれようと反発する。


仕事のストレスからの反発、反動力。




これがあるから、休暇や自由が楽しい。と感じる。





毎日同じ仕事の繰り返し、


抑圧される感情、


のしかかる重圧、


蓄積するストレス。


そういったストレス下の日常。




そこからの非日常。


晩酌による解放、


温泉による癒し、


休日の趣味、




大事なのは、抑圧と解放


日常からの非日常、


オンとオフ、


抑揚、メリハリ、ボラリティ。




人生のボラリティ。





毎日仕事をしなくていい自由な生活。


その生活は、もはや解放されるべき仮想敵は存在しない。


その状態では、開放解放という名の高揚感は存在しない。



毎日同じルーチンワークのない日常。


その生活は、もはや、非日常が日常となり、


非日常を味わう醍醐味は、存在しない。



常に無意識に存在していた仕事モードのスイッチ、


そのスイッチは常にオフのまま、


毎日がオフ、オフ、オフ、オフ、オフ


もはや、そのスイッチの電源は灯を灯すことのない壊れた蛍光灯


光を放たない風景、セミリタイアは、モノクロな人生。




だって想像してみてほしい、


毎日温泉のある日常、


そこにあの「やっと温泉来れた〜気持ちいいいいおお!」


という感情が存在すると思うかい?


毎日そのテンションで温泉入れると思うかい?



東京タワーの見える風景


毎日朝起きて、そこに東京タワーがある日常、


そこにあの「これこれこれこれ!このよくドラマで見る風景を見たかったたんだよ」


という興奮を感じることができると思うかい?



田舎に住んでるから、東京に憧れ、


都会に住んでるから、のんびり田舎暮らしに憧れて、


大体、現実を知り、己を知り、挫折し疲弊し、元の生活に戻る。


「やっぱり田舎が性に合ってるわ、将来田舎に戻りたい」


「田舎暮らしがこんなに大変だと思わなかった、やっぱ都会の方が便利でいいわ」




富士山の見えない生活だから、富士山を求め、


人混みの雑踏から自然に囲まれた生活に憧れ、


セミリタイアしてないから、セミリタイア生活に憧れる。




旅行は2泊3日だから、楽しい。


セミリタイア生活は2泊3日どころではなく、一生続く。


一生続く非日常は、どうなるものか。もうお分かりだろう。






人生には、


貴重な非日常を、感じるためのモノクロな日常、


自由でないからこそ、自由になりたい、自由になれたという開放感を味わうための、


抑圧された社会、


それはキラキラ光輝くセミリタイア生活には、なくてはならないもの。



我々がセミリタイアしたい、自由になりたいと思うのも、


それができない現実、日常があるから。



セミリタイアした途端、その反動力は失う。


そこにあるものは非日常という名の日常。




光輝くセミリタイア生活を送るために、


その反発力を創出する凝り固まった負の感情が必要なのだ。




大きな含み損からの、大きな含み益。


人生には仮想通貨のようなボラリティが必要なのだ。

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